3、「夢が持てない」「先が見えなくて不安」と言う若者たちとインドに学校を作った若者
1、「夢が持てない」「先が見えなくて不安」と言う若者
前章で見てきた通り、若年者の自殺者数が日本では他の国と比べて極めて高い状況となっています。これは、日本の若者が現代日本の中で社会状況によって精神的に追い詰められているという文脈で語られることが多いように思いますが、果たして本当でしょうか?
確かに、平均寿命が伸び雇用期間も伸びることで、上の世代の引退が長引き役職者が組織的に詰まってきて、これまでは年功序列の給与体系のもとで時間ともに給料と役職が上がっていくという将来が描きやすかった時代とは、社会状況は大分に変わってきていることは事実かもしれません。ただ、このような社会状況の影響をもろにかぶっている世代は、40代から50代の世代であって、この状況を若者が心配しているということは、少し早すぎるのではないかと思われます。
さらに、年功序列的に年齢とともに役職と給料が上がっていくことに期待して、これを「夢」とか「先」というのは、あまりにも他責的で自分自身の人生を生きていない感じがします。
そもそも「夢」というのは自分から内発的に湧き上がってくるものであって、他人から与えてもらうものではありませんし、「先」というのもこれが見えている人というのは、よっぽど強い予知能力がある超能力者くらいで、誰しも「先」が見えない中を少しでも自分の夢や理想に近づこうと努力しているのであって、「夢が持てない」「先が見えない」ということを自分自身の無気力や虚無感の責任にしていること自体に、やはりその前に大きな問題があるように思われてなりません。
2、インドに学校をつくった若者
ここで、1人の若者お話をしたいと思います。彼は、元々大学時代に児童館でアルバイトをしながら、貧困地域の子ども達の写真を取りながら世界一周し、世界の子どもの写真を撮る写真家になりたいという思いを持っていました。
そして、それなりに渡航費がたまってきた段階でいよいよ出発いようという段階になって、何かもの足らない感じがしました。彼の最初の構想は、世界の貧困地域にある孤児院を回って、ボランティアしながら、そこで生活している子ども達の写真を撮らせてもらおうという構想でした。孤児院へは飛び込みで行くつもりでしたが、やはり何か手土産のようなものが必要だ、できれば、相手の警戒心を解けるようなものが良いなと、その時、自分がアルバイトしている児童館で子ども達が夢中で遊んでいるLaQが目に止まり、これをお土産に持って行けば良いのではないか思い、早速私のところに連絡がきました。
私は、彼の話を聞き本当に行動力のある人だなと思いすぐに協力する決断をしました。そして、孤児院で多くの子どもが遊ぶのであればと一番大きなセットを彼に送る約束をした後で、いつ日本を出発するのか尋ねると、明日に出発するというのです。(この時点で、いかにも人に物を頼むのに思いつきで唐突に連絡してきたことがわかりますが、だからと言ってそんな失礼なやつには協力しないということはありません。それ以前に彼が考えている全体の構想が面白そうで、熱意があればそれで良いのです。)それでは、これから彼に手渡す商品を準備して送っていたのでは出発に間に合わないということで、事務所にある一番大きなセットを彼に手渡しました。
さらに、孤児院で子ども達に遊ばせるのは良いけれども、子ども達が大変気に入ってもっと遊びたいと言ったらそのセットが引き上げられなくなるし、そうすると次の訪問地へ持って行けないではないかということで、彼が訪れた孤児院には、後から新しい大きなセットをヨシリツから送るという約束をして、彼は旅立っていきました。
最終的に、彼は5年間で49カ国を訪問し、ヨシリツから10数カ国の孤児院へLaQを送ることができました。ヨシリツもこのご縁で韓国の孤児院からは毎年グリーティングカードをいただけるようになりました。
彼の最初の構想である「孤児院を訪れ写真を撮りLaQを送る」という活動は、一通り当初計画した5年49ヶ国で完了したので一旦終了しましたが、彼は、この活動を通じて孤児院に生活する子ども達よりももっと過酷な生活を強いられているストリートチルドレンに関心を寄せるようになり、ストリートチルドレンをその境遇から抜け出せるような仕組みが作れないかと考え、ストリートチルドレン自身が学ぶ意欲を持ち前向きに人生を立て直そうとした時に受け皿になれるようなフリースクールを実現したいと思うようになりました。そして、世界を回った自身の活動に関する講演を各地で行い、支援者を獲得し最初の活動から6年目にして、今年インドに彼の最初の学校であるフリースクールの建物を建てています。ただ、今年はコロナウィルスの影響で、建物の建築もストップしてフリースクールの開校は延期となってしまっていますが、最初は全くの無一文から熱い思いを持って行動することがこれだけの結果を出すことができるという良い例であるかと思います。
ここで、彼のフリースクールに関して簡単に説明をします。まず、一旦ストリートチルドレンとなってしまった子ども達は、教育の機会を奪われ、幼くして人生はこんなものだと諦めてしまっていたり、悪い場合は、地域のマフィア組織の末端に組み入れられたりしてその境遇から抜け出すことが非常に困難な状態になります。このような状況から抜け出すためには、まずは読み書きを教えてくれる教育の場が必要であること、また多少の読み書き計算ができるようになっても、一度ストリートチルドレンの境遇に入ってしまった子ども達はなかなか就労の機会を得ることが困難なようで、彼の学校では、いつでも好きな時に学べる学校とカフェを併設して、カフェの収益で学校運営の資金を捻出しつつ、そこで学んだストリートチルドレンを一時的にでも雇用できる体制を作りたいというものです。一度就労経験があって読み書き計算と多少の英会話ができれば、ストリートチルドレンであっても、かなり就労機会が増えていく可能性があるということで、このような循環型のフリースクールを実現しようとしています。そして、この形がうまく体系化されれば、インドだけでなくその他の国にも広げていきたいと彼の夢はしっかりと広がっています。
この彼のお話から私が言いたいことは、やはり現実の世界は実際に行動する者にしかその可能性を開いてくれないということです。今、自分の殻の中で「夢が持てない」とか「先が見えない」とか言って引きこもっている人がいれば、やはりまずは実社会で自分のできることをやってみるということが、非常に大切だということです。
では今の若者達で現状に満足していない人が、今すぐに自分のできることをやってみる、実践してみるということを阻んで精神的に引も籠らせている原因は何にあるのでしょうか?
具体的には、「こんなことをやっている自分は恥ずかしい」「ある人にお願いしなければいけないけれども、恐れ多い」「そんなことはできるはずがない」「大それた奴だと思われることが恥ずかしい」「断られるのが怖い」「人格を否定されそう」「K Yと言われたくない」「失敗するのが怖い」「人に自分を拒否されるのが怖い」「周りの目が気になる」「前にやろうとしたけれども、失敗して恥ずかしい思いをしてしまった、または大変心(プライド)を傷つけられた」「自分の身の丈に合わないことはしたくない」・・・
私自身思いつく限りのことを書いてきましたが、こんなところでしょうか。これらの言葉を見ていて気がつくことは、自分の行動への評価や判断が他者依存的であるということに気がつきませんか?
私自身職業柄企業経営者の皆さんと出会う機会が多く、またその中には画期的な思いつきから会社を創業されたという創業経営者の皆さんもいらっしゃいます。このような人たちは、自分の信ずるところをまっしぐらに突き進んで行って1回や2回の失敗なんかは全く気にせず、「物事は成功するまでやれば、失敗なんかないんだ!」という方が多いです。つまり、自分のやりたいこと実現したいことをやっていこうとすれば、途中の小さな失敗はその成功への過程でであって、失敗ではないということです。
またこういう人たちにも、これは失敗だったとか、あれは恥ずかしかったとかいうことがあるのですが、その評価や判断は、あくまで自分基準です。またこういう人たちの失敗談は、自分自身でも非常によく分析されていて、そのお話は示唆に富んでいて非常に為になりますし、聞いていて面白い。お話を聞きながら本当に安心して笑えます。
でも、評価が他者依存型の人の失敗談は、もともとそういうことを喋りたがらないし、何らかのはずみでそんな話が出てきても、何か痛痛しくて聞いているこちらが、申し訳ないような、恥ずかしいような気持ちになってしまうものですし、それを聞いて笑ってなんかしまうとさらにプライドを傷つけてしまいそうで、ヒヤヒヤしてしまいます。
では、この違いは何が違うかというと、やはり自分中にしっかりとした自分自身が確立している。そして、他者からの批判や判断にあまり影響されることがないということではないかと思われるのです。
世に言う自己啓発本や自己啓発セミナーという、ものが沢山ありますが、この種の自信や自己の基準を確立するためのテクニックを紹介している本や講習会だと思います。本を読んだ後や講習会に参加した後は、カンフル剤的に何か自分に大きな力を得たような気になって、明日から変わろう!なんていう経験をした人も多くいるかと思います。
しかし、このような気持ちは長くて3日もしたらどこへやら?多くの人は、翌日には元の生活に戻って、またこれまでと変わらない日常に戻っているのが常ではないかと思います。
では、どうすればこのような自信に満ちた確固たる自我を得ることができるのでしょうか?
私は、この点に幼児期の体験や幼児教育に大きな鍵があると考えています。人の人格を形成するものは、日々の生活習慣や生活環境と生活リズム・周りの人間関係などが大きく影響するものです。「ある人との出会いが自分の人生を変えた!」という話はよく聞きますが、そういう劇的な出会いが誰しもあるとは限りません、ということはやはり日々の生活での小さな習慣や日課が大切ではないかと思われます。特に、人として劇的に成長していく乳児期から幼児期において、安定した生活リズムと安定した信頼できる人間関係の中で生活することは、子どもの人格形成という点で非常に重要だということです。
では、次章から現代の子どもの生活環境を取り巻く現状にについて、子どもの時間と価値観という観点から述べていきたいと思います。
ただ、幼少期に非常に不幸な環境で育った方でも立派な人生を送っていて非常に優れた人格を持っていらっしゃる人も沢山知っておりますので、幼少期の生活に問題のある人が全て無気力で人生を失敗するということでは決してありませんので、この点は誤解のないようにお願いしたいです。
