1948年1月1日、日本から「家」が消えました。
法律の上では、という話です。
改正民法(昭和22年法律第222号)がこの日に施行されました。公布は前年、1947年12月22日です。これによって戸主という地位がなくなり、戸主が家族を統率する権限がなくなり、長男が家の財産をまとめて受け継ぐ家督相続がなくなりました。
国税庁の資料にも、はっきりこう書かれています。日本国憲法によって「家」・戸主の制とともに家督相続の制が廃止され、相続は財産相続のみとなった、と。
さらに言えば、実質の切り替わりはもう少し早い。日本国憲法が施行された1947年5月3日から、応急措置法によって戸主や家督相続に関する規定は適用されなくなっていました。戸籍も、1948年1月1日から「家」の単位ではなく、夫婦と未婚の子を単位とする形に変わります。
つまり、戦後のかなり早い段階で、家は制度としては解体されています。
それなのに、七十数年たったいまも、同族企業の現場には家が残っています。
今回は、そこを考えます。
そのとき、父は三歳だった
ここで、第1回に書いた年齢の符合に戻ります。
私の父は1944年の生まれです。改正民法が施行された1948年1月1日、父は三歳でした。
大塚勝久氏は、2015年の報道で71歳とされていますから1943年前後の生まれ。施行のとき、四歳前後です。
つまり二人とも、法律上の家制度を自分の記憶として知りません。物心がつく前に、制度としての家はもう無くなっていたのです。
戸主権のある世界で少年期を過ごしたわけでもなければ、長男が全部を継ぐのが当たり前という法律のもとで青年期を迎えたわけでもありません。二人が社会に出たのは1960年代、高度成長のさなかです。法律の建前としては、とっくに均分相続の時代でした。
それなのに、二人とも家長としてふるまいました。
ここが、この連載でいちばん考えたかったところです。
「あなたの持分は何%ですか」が噛み合わない
私は会計士・税理士として、同族企業の方とお話しする機会が多くあります。そこで何度も経験したことがあります。
「ところで、社長の持分は何%ですか」
この質問が、噛み合わないのです。
答えが返ってこないのではありません。質問の前提が共有されていない、という感じです。「全部わしのものや」と言われることもあれば、「息子に名義は分けてあるけどな」と言われることもある。どちらも、何%かという問いには答えていません。
会社法の世界では、株式会社は株主のものです。議決権は持株数に比例します。取締役は株主総会が選び、株主総会はいつでも解任できます(会社法339条)。誰が何%を持っているかは、会社の意思を誰が決められるかと、ほぼ同じ意味を持ちます。
家の世界には、この発想がありません。会社は家の身代であって、家長が差配するものです。息子は会社を「継ぐ」のであって、「持つ」のではない。だから持分という概念そのものが、質問として成立しません。
この噛み合わなさは、些細なことに見えて、承継のいちばん奥にあります。

省略と、省略したことにすることの違い
ここで、会計士として一つはっきりさせておきたいことがあります。
中小企業で株主総会や取締役会が形式的になっていること自体は、ただちに違法を意味しません。会社法にも、手続を省ける仕組みがあります。株主全員の同意があれば招集手続は省略できますし(会社法300条)、議案について株主全員が書面などで同意すれば、総会の決議があったものとみなされます(会社法319条)。取締役会についても、定款に定めがあり取締役全員が同意し監査役が異議を述べなければ、決議があったものとみなす扱いがあります(会社法370条)。
つまり、集まらないこと自体は、法律が認めている場合があります。
問題は、そこではありません。省略することと、省略したことにすることは、別です。
前者には、全員の同意という実体があります。後者には、紙しかありません。
第1回に書いたとおり、2017年に私が会社を外れたとき、株主総会も取締役会も書面の上では開かれたことになっていました。議事録には招集があり、決議があり、署名があります。しかし過半数を持つ株主である私は、何も知りませんでした。同意していないのですから、省略ではありません。
そして、こういうことが起きる土壌をつくるのが、家の論理です。家長が決めたことは、家の決定である。だから紙はあとから整えればよい。そういう前提が家の中にあるとき、会社法の手続は、守るべきものではなく、整えるべき書類になります。
大塚勝久氏も、ほぼ同い年である
対比を見ます。
大塚家具は上場企業でした。株主がいて、開示があり、取締役会があり、株主総会がありました。2015年3月27日の総会では、実際に委任状が集められ、票が数えられています。制度は、紙の上ではなく現実に動きました。
それでも、そこで起きていたのは家の問題でした。大塚久美子氏の著書は、五つの章すべてを対比の形で組み立てています。その第一章が「家」対「株式会社」です。上場企業の経営権をめぐる争いを説明するのに、まず家と株式会社を並べなければならなかった、ということです。
創業者である勝久氏は、1943年前後の生まれ。私の父と、一歳ほどしか違いません。
制度がどれだけ整っていても、家の論理は消えない。上場企業ですら、です。これは、非上場だから仕方がないという言い訳を、こちらから封じる事実だと思います。
価値観は、経験ではなく、その親から渡される
では、法律上の家制度を知らない二人が、なぜ家長だったのか。
答えは、たぶん単純です。二人がそれを受け取ったのは、法律からでも自分の体験からでもなく、親の世代からだからです。
1944年に生まれた子どもを育てたのは、家制度の中で生きてきた大人たちです。その大人たちにとって、家長が決めるのは当たり前のことでした。法律が変わったからといって、自分の身についた前提が翌日から入れ替わるわけではありません。彼らはそのまま、子どもを育てました。
子どもの側は、それを教わったという自覚すら持ちません。空気として受け取るからです。第2回で書いたとおり、子どもは家の文化を選べません。ただ浴びて育ちます。
ですから、法が変わった日と、家の中の前提が変わる日とのあいだには、少なくとも世代一つ分のずれがあります。1948年に制度が切り替わっても、家庭の空気が切り替わるのは、早くてもその子どもたちの代、実際にはもっと先になります。
そして日本の中小企業の創業者の多くは、いまだにこの帯の中にいます。1940年代から1950年代に生まれ、家制度を知らないまま家長の前提を受け取った世代です。
制度を入れても、家が上書きする
ここから、実務の話に移ります。
承継の相談で、よくこう言われます。「うちも、きちんと株主総会をやるようにします」「定款を整えます」「株式を少しずつ移していきます」。どれも正しいことです。
しかし、それだけでは足りないことがあります。制度を入れても、家の論理がそれを上書きしてしまうからです。
形式的に総会を開いても、結論が事前に家の中で決まっているなら、それは制度ではなく儀式です。株式を分けても、「名義は分けたが実質は自分のもの」という前提が残っているなら、持分は持分として機能しません。
逆に言えば、承継の設計で本当に効くのは、家の論理が働いたときにも事業と人が壊れないようにしておくことです。この具体策は第9回で書きます。
今回のまとめ
三点です。
一つ。家制度は1948年1月1日に、法律としては廃止されました。戸主権も家督相続も、もうありません。
二つ。それでも家は残りました。私の父も大塚勝久氏も、法が変わったあとに育っています。家制度を体験していないのに家長だったということは、あの価値観が体験からではなく、親の世代から家庭の中で渡されたものだということです。
三つ。だから制度を変えるだけでは、家は変わりません。法改正から家庭の空気が変わるまでには世代一つ分のずれがあり、いま承継期を迎えている創業者の多くは、まだその帯の中にいます。
家制度は廃止されました。けれども、廃止できるのは制度だけです。
次回予告
第4回は、その価値観が子どもに当たったときの話です。
同じ家父長制的な前提が、娘には娘の形で、息子には息子の形で当たりました。大塚久美子氏が女性として受けた扱いと、私が「父の思い」としてまとめた「家事子育てをしている息子は、経営者としてふさわしくない」という一行。この二つは、性別が違うだけで、根は同じだと私は考えています。
ただしこれは、他人の内面を推測しては書けない話です。私は自分の側だけを、一人称で書きます。
(次回に続く)
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本連載の筆者側の経緯・経営数値は、筆者および創業者一族の講演原稿(2002年・2006年・2010年・2021年・2022年・2025年)に基づく概算値であり、監査済み財務諸表の数値ではありません。株式会社大塚家具に関する記述は、公表された報道・開示資料および大塚久美子『後継者不足時代の事業承継』(集英社新書、2025年)によります。法令に関する記述は一般的な説明であり、個別の事案については専門家にご確認ください。評価にわたる部分は筆者個人の見解です。
筆者:吉條嘉家(公認会計士・税理士)/Kakitsu株式会社 https://kakitsu.co.jp/
