前回は、一通のファックスで資金の峠を越えた話を書きました。ここから会社は、売上高が年率20%のペースで伸び始めます。
ただ、その間に広告を打った記憶がほとんどありません。テレビCMも雑誌広告も出していない。やっていたのは、ロゴを作り直すこと、パッケージを考えること、売り場に人を置くことでした。この当時考えていたこと、「どんな田舎の書店でも児童書コーナーに行けば、見かけるあのおもちゃ」というスタンスを目指しました。名付けて「ボンカレーの看板作戦」ボンカレーのブリキ看板は地味ですがどんな田舎でも見かける。そして、なくならない。というマスコミで一時騒がれて消えていくのではなく、地味であっても末永く日本の子どもの生活に密着しているブランドを目指しました。
取引条件の標準仕様を、こちらで書いた
書店で玩具を委託販売するというやり方には、前例がありませんでした。ですから、書店の商取引の慣行や取引契約を一つずつ調べ、それを参考にしながら、玩具を書店で委託流通させるルールと体制を自分たちで整備しました。
掛け率、返品の扱い、在庫の数え方、請求の締め、売り場の什器。決めなければならないことを、片端から決めていく作業です。
結果として、このルールが書店の知育玩具売り場における事実上の標準(デファクトスタンダード)になりました。あとから他社が同じ市場へ入ってくるときも、私たちが決めた条件が前提になる。つまり商流を開拓したパイオニアがその通流のルールメーカーになれるということです。これは、宅配便という市場を作ったヤマト運輸みたいな感じですね。
営業を委託していた会社を解任
もっとも、ここに至る途中でもう一つ山がありました。関東の営業を委託していた会社に不自然な動きが出てきたため是正を申し入れたところ、「ヨシリツはもうすぐ倒産するから、早く返品したほうが良い」と取引先に返品を勧め始めたのです。結果、関東エリアの書店から商品がどんどん返ってくるという状況になりました。
こちらも、これではいけないということで、すぐに解任の手続きを取り、その旨を関東の全取引先にファックスで送り、私ともう一人の営業と二人で、自動車と電車の二手に分かれて全取引先を回り始めました。なしくずし的に東京営業所を開設したのが2000年の4月、その2年後には九州営業所も開きました。
外に預けていた売り場を、自分の足で持ち直したわけです。以後、売り場は自分たちで見ます。定期的に営業が書店を訪問し、在庫を確認し、補充し、棚を直す体制が整っていきました。
この体制ができると、提案できる範囲が変わります。自社のLaQだけでなく、絵本売り場の隣にある知育玩具の売り場そのものを、まるごと提案できるようになったのです。日本にあまり市場のなかった輸入品まで含めて教育玩具を仕入れ、棚から売り場構成までトータルに提案する。そのために、人と物流を整えました。ただこの方向性は、書店からも1商品だけで取引口座を作るのは棚の売上回転上、リスクが高いので色々な商品のうちから仕入れたいという書店の要望に応えて、書店における委託玩具流通を自社で押さえていけば、盤石な流通基盤が整えられると期待した私と、うちは開発型のものづくりメーカーであるという父にとっては、他社の商品を仕入れて売るというのは、ブローカー商売でうちでやることではないと、のちの内部紛争の大きな火種となっていきます。
ただ、この特定の流通を押さえて、そこに様々なものを提案していくという形で大きくなった会社は、ホームセンター流通ではアイリスオオヤマという代表企業がありますね。彼らはプラスチックの衣装ケースのメーカーから今や家電まで手掛ける総合生活雑貨メーカーになりました。
2002年の暮れには、売上のうち21.9%が他社から仕入れた商材になっていました。売り場を預かると、こうなります。

ロゴを、二色に減らした
LaQという名前は、発明者である父がつけたものです。最初に上がってきたロゴ案は、楽しさを出すための多色刷りでした。
これを私が引き取って、二色刷りに作り直しました。狙いは三つです。
一つ、多色刷りでも単色刷りでも読めること。段ボール、カタログ、什器、伝票と印刷の条件は変わります。どこに載っても同じ顔でいてほしかった。
二つ、世界で通用すること。海外展開はまだ構想でしたが、名前は英字三文字です。そのまま持ち出せる形にしておきたかった。あと、ちょうどこの頃からユニクロが世界展開を始めて、カタカナゴロをニューヨークの基幹店をオープンしたので、カタカナも世界標準にしても良いかなとLaQの上にカタカナでラキューと記載、おじいちゃんおばあちゃんにも読んでいただける形にしました。
三つ、製品がどんな色になっても映えること。全二十色のパーツを組み合わせる商品で、完成品の色は読めません。何と隣り合っても濁らない配色にしました。
言い方を変えると、ブランドの一貫性はロゴの側で担保し、多様性は製品の側に全部渡した、ということです。
パッケージに、実際のモデル写真を使わなかった
パッケージの表面には作例の画像を載せますが、ここでは実際に組んだモデルの写真ではなく、CGを採用しました。CGなら、子どもがこう作りたいと思う形の質感をそのまま出せる。載せているのは完成品ではなく、夢のほうだという整理です。これは、プラモデルパッケージ表面は、実際のモデルの写真ではなく、イラストで表現されていることに着想を得て、作品の世界観がより伝わる形にしました。
方向は、楽しさを残しながら教育的に見えること。そしてシリーズごとに統一すること。棚に並んだとき、ブランドがひとまとまりに見えるようにしました。
「教育的」を、根拠のある言葉にした
ここが、いちばん効いた部分だと思っています。LaQは、パーツがはまるときにクリック感があります。この感触は、子どもに「今の操作で合っていた」という確認と達成感を与えます。曲面や球体まで作れる造形の多様性は、想像力を刺激し、自分でやってみたいという意欲を引き出します。
この二つを、教育学や発達心理学の知見に照らして言語化 (これは別途マガジン「良いおもちゃをつくるには」にまとめています。)しました。「面白いブロック」で止めずに、なぜ面白いのか、それが発達の上でどういう意味を持つのかまで説明できるようにしたのです。買うのは保護者です。教育的な安心感を持てる言葉を用意できたことが、知育玩具のブランドとして扱われる入口になりました。これは教育玩具というブランドにとって大きな背骨になります。

数字は、あとから追いついた
2003年3月期、創業以来の累積欠損金を一掃し、私が会社に入って初めて、資本の部が黒字の決算書を見ることができました。2004年3月期には前年比116%の増収を達成し、世話塾の2005年の全国大会で稲盛経営者賞をいただきました。
理論で言うと
二つ、申し上げたいことがあります。
一つめは、ブランドは広告の量ではなく、体験の蓄積で立ち上がる、ということです。棚で手に取り、クリック感を確かめ、親が説明を読んで納得し、月に一度補充されている棚にまた出会う。この積み重なりが、ブランド認知でした。当時の販売費及び一般管理費に広告宣伝費はほとんど載っておらず、かわりに載っていたのは売り場を回る人の人件費と移動費です。ブランドへの投資が、人件費の形で計上されていたわけです。
二つめは、一貫性と多様性は分けて設計できる、ということです。変えてはいけないものと、いくらでも変えていいものを先に線引きしておけば、商品は増やせるのにブランドはぶれません。顧問先からご相談を受けたとき、私はまず「お宅が絶対に変えない部分はどこですか」とお尋ねします。そこが決まっていない会社は、新商品を出すたびに別会社のように見えてしまいます。
次回予告
第8回は、私がLaQでの経験を持って外から関わった事例です。学研ニューブロックという確立したブランドの対象年齢を引き上げ、「ローリングQ」として売り直した話を書きます。既存ブランドを壊さずに、どう再定義するか。
(次回に続く)
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