6、引き算の育児が達成できること
引き算の幼児教育では、「今できないことをできるようにしなければならない」というマイナスの前提条件がありません。子どもは今のままで満たされた状態として、受け入れられる存在です。一昔前の大家族での生活環境では、近くにおじいちゃんやおばあちゃんがいて、両親は、この厳しい社会で生き抜いていくために、また社会に順応し、かつ恥ずかしい思いをすることがないようにと、厳しい躾をし、また勉強をサボっているとこっ酷く叱りつけたりと子どもを締め付けていきますが、そういう時子どもは子どもで祖父母のもとに逃げていくことができました。祖父母の方ではもう子育ては一段落して、一生懸命に躾けたり勉強を強制したところで自分の子どもで大体結果は見えていますから、教育のほうも力が抜けていて、孫はただかわいいかわいいで、子どもを全面的に肯定して受け入れてくれるということが多かったのではないでしょうか?しかし家族が核家族化、密室化し、両親の実家も遠く離れてしまっているという環境であれば、両親がともに厳しいと子どもは逃げ場を失ってしまっているのではないかと心配になってしまいます。
私自身も幼少期は大変なおじいちゃん・おばあちゃん子でいつも可愛がってもらっていていました。客観的にはそれほど男前でもなく、勉強も大してできず頭の回転も遅かったので同年代の友達の間で面白いことも言えない、運動も不得意な総じていわゆるできない子の典型的な人間だということは、小学校の中学年頃から周りの目が認識できるようになって、自然と自分でも自分の現実が認識できるようになってくるものですが、乳幼児から小学校低学年の頃には、祖父母から「この子はいつもニコニコして可愛らしい、男前や!」「絵が上手や!」と自分自身に何か足らないことがあるということを言われた記憶が全くありませんでした。また、仮に両親がこの子の将来が不安だというようなことを言っても「この子は大器晩成型やから大丈夫や」とこれまたなんの根拠もないのに、「きっと上手く行く」と言われ続けて育ちました。そして、その頃祖父母から受けた全肯定の感覚と無性の愛は、私自身の今を作っていく上で、大きな精神的な支柱として働いているように思います。
またこれも、卑近な例で恐縮ですが、皆さんも良くご存知の漫画「ちびまる子ちゃん」に出てくる友蔵じいさんは、時としてずる賢く、友蔵じいさんを丸め込もうとするまる子ちゃんを全面的に信頼して、ど真剣にその隠居人生をかけてまる子ちゃんにお付き合いし、良き悪さ仲間になっている様子が面白おかしく描かれています。私は、子どもの成長においては、このような役割をしてくれる大人の存在が、本当に必要だと思うのです。
さらに余談ですが、さくらももこさんのエッセイ集「ももの缶詰め」に本当のおじいさんのお話が少し出てきますが、実際のさくらももこさんのおじいさんは友蔵じいさんとは大分違っていたようで、さくらももこさんによるとちびまる子ちゃんに出てくる友蔵じいさんは、自分の理想のおじいちゃん像だそうです。ということは、さくらももこさんも子どもの育ちに必要な心の栄養素というものをよくご存知だったのではないかと思います。
さて、このように子どもは全肯定され、無償の愛に包まれ、安全な場所と時間が子ども達のために保証された環境で思いっきり遊ぶことができ、子ども自身にその時点でできないことは何もない満たされた存在として周りに受け入れられることができれば、
① 自然と自分自身を自分自身で信頼することができ、
② ①の結果として、自分を好きなり、
③ 自分の未来はきっとうまくいくという確信が持てるようになるでしょう。
そして、私は人間の心の根本的な土台にこの3点の基礎が絶対必要だと思うのです。
この基礎がしっかりしていれば、人は自分自身の人生を自分自身で切り開いていくことができるし、困難にぶち当たってもそれを乗り越えていくことができるのだと確信しています。そして、この基礎部分がしっかり確立された上に、他者との関係性と集団の未来を築いていけるようになります。では次章では、心の基礎の上に何ができるようになるかということを見ていきましょう。
