ここまで四回かけて、世代の断層がどこから来たのかを見てきました。
二つの家の文化。1948年に廃止されたはずの家制度が、法ではなく家庭を通じて次の世代に渡されたこと。そしてその前提が、娘と息子に逆向きの形で当たったこと。
ここで、立ち止まらなければなりません。
世代の断層は、どの同族企業にもあるからです。
それなのに、帰結は分かれる
創業者と後継者で常識が違う。価値観が合わない。これは、ほとんどの同族企業で起きていることです。私が顧問として伺う会社でも、断層のない家のほうが珍しいくらいです。
それなのに、後継者が会社を追われるところまで行く家と、行かない家があります。
揉めながらも事業が続く家があり、揉めて会社ごと無くなる家があります。
断層があることは、たぶん避けられません。では、帰結を分けているのは何なのか。
今回は、私なりの答えを置きます。ただし、先に一つお断りしておきます。これは私が自分を説明するために考えてきたことであって、他人を診断するための道具ではありません。その線引きは、途中でもう一度はっきり書きます。
足し算の幼児教育と、引き算の幼児教育
少し遠回りをします。
私はヨシリツを離れたあと、保育園の監事を務めながら、幼児教育について考えてきました。2021年に『引き算の幼児教育で日本再生』という文章を書いています。今回の話は、そこで整理したものです。
世の中の幼児教室の多くは、足し算です。英会話、右脳開発、体操、ピアノ。いずれも「何もできない子どもに、何かできるようにする」という前提で運営されています。
ここに、見えにくい問題があります。
足し算の前提は、子どもにとっては「自分は教えてもらわないと何もできない子だ」というメッセージになります。そして、できるようにならなかった子にとっては、「自分は教えてもらってもできない子だ」という観念になって、深層心理に残ります。
先生の哀れみの目、ほかの子と比べた親の苛立ち。その敗北感と屈辱感は、スキルの習得以前のところで、自尊感情を削っていきます。親も先生も、この子のためを思って一生懸命にやるほど、そうなることがあります。
引き算は、逆の前提に立ちます。「今できないことをできるようにしなければならない」という前提を置かない。子どもは、今のままで満たされた存在として受け入れられる、という立場です。
では、何が満たされるのか。ここで器の話になります。
自我の器
人の心の成長は、小さな器から大きな器へ、それぞれを一杯にして溢れさせていく作業のようなものだと考えています。
いちばん大切で、いちばん小さな器が「自我の器」です。ここに入るのは、三つです。
自分を信頼する力。自分を好きになる力。そして、他者の評価に頼らない、成功への確信。
この器を一杯にしてあげることが、親や祖父母、保育者など、子どもを取り巻く近しい大人の役割だと思います。一般には、これを「無償の愛を注ぐ」といいます。

溢れた先に、社会性の器がある
環境に恵まれると、自我の器はすぐに一杯になり、溢れます。
溢れた先に、もう一つ、かなり大きな器が待っています。社会性の器です。ここに溜まるのも、三つです。
他者を信頼できる力。他人に共感し、協力できる力。そして、愛を持って「世のため人のため」に動くことができる力。
しばらくは他者に頼って溜めていくことになりますが、ある程度溜まってくると、自分の社会経験や人生経験から、そこにある愛や信頼や確信が本当かどうかを、自分の理性で検証できるようになります。検証できたとき、人は自分の力でそれを広げられるようになります。
ここまで来れば、人生はもう成功したと言えるのではないかと思っています。
そして、ここに標準年齢はありません。十代でそうなる人もいれば、二十代三十代でそうなる人もいる。いちばん小さな自我の器を、一生満たすことができない人もいます。
私は、満たされた側だった
ここで、自分のことを書きます。
第2回に書いたとおり、私は幼少期の多くを母方の祖父母のもとで過ごしました。祖父母は、私に何かが足りないという言い方をしたことがありません。「いつもニコニコして可愛らしい」「絵が上手や」。そして「この子は大器晩成型やから大丈夫や」。
根拠は一つもありませんでした。客観的に言えば、どれも事実ではありません。
けれども、器を満たす言葉としては十分でした。
ですから私は、かなり恵まれた側にいます。これは、私が立派だったからではありません。そういう祖父母のところに、たまたま預けられただけです。順番の問題であって、手柄ではありません。
もし順番が逆だったら、私がどうなっていたかは、わかりません。
この一文を先に置くために、第2回で家の文化の話を書きました。順序を逆にすると、このあとの話が自慢か告発になってしまうからです。
満たされないと、人は鎧を着る
ここからが、本題です。
自我の器を満たすことができず、自尊心が欠けたままの人は、往々にして、外形的な鎧で自分を守ろうとします。
お金。スキル。資格。ブランド。肩書き。会社の規模。
これらは、本来は手段です。しかし器が満たされていないと、手段が身を守る鎧になります。鎧を着ているあいだは、安全です。
問題は、鎧には弱点があるということです。
鎧を着た人が、自我の器と社会性の器が満たされて自信を持っている人に出会うと、どうなるか。
自分の偽りの鎧を剥ぎ取られてしまうのではないか、という脅威を感じます。そして本能的に、その人を遠ざけようとします。
ここで効かないのが、役職の上下関係であり、年齢であり、自分の持っている権力です。鎧を着ている側が上の立場にいても、脅威は消えません。むしろ、上の立場にいるからこそ、遠ざけることができてしまいます。
これが、私の考える「帰結を分けるもの」です。
世代の断層そのものは、どの家にもあります。しかし断層の両側のどちらかに、鎧を着ている人がいて、もう一方に鎧のない人がいると、断層は対立に変わり、対立は排除まで行きます。
ここで、はっきりさせておきます
読んでくださった方は、当然これを私の父に当てはめて読まれると思います。自然なことです。
けれども私は、それを書きません。
理由を三つ、書いておきます。
一つ。人の内面は、外からは観察できません。私に見えたのは出来事だけで、その人の器の中身ではありません。見えないものについて断定するのは、会計士としても、人としても、やってはいけないことだと思っています。
二つ。当事者が理論を持ち出して相手を説明すると、それは分析ではなく断罪になります。私が「父はこうだった」と書いた瞬間に、この連載は父を裁く文章になります。そうなったら、読む価値はありません。
三つ。これがいちばん大事なのですが、この考え方は、そもそも誰かを責めるためのものではありません。器が満たされなかったのは、その人が選んだことではないからです。どんな家に生まれ、誰に育てられるかを、子どもは選べません。第2回に書いたとおりです。
ですから私は、この理論を父にも、大塚勝久氏にも、大塚久美子氏にも当てはめません。使うのは、自分についてだけです。
私が満たされた側だったこと。そして、満たされていたがゆえに、相手にとって自分がどう見えていたかを、長いあいだ考えもしなかったこと。書けるのは、そこまでです。
会計士として、これをどう使うか
では、実務では何の役に立つのか。
診断の道具としては、使えません。顧問先に伺って、社長の器を測ることはできませんし、してはいけません。
使い方は、別のところにあります。「設計の前提として使う」ことです。
同族企業の承継を設計するとき、私たちは普通、こう考えます。後継者に能力があるか。株式をどう移すか。税負担をどうするか。どれも必要です。
しかし、それだけでは足りません。関係者の誰かの器が満たされていないかもしれない、という前提を置いておく必要があります。誰かは特定しません。特定できませんし、する必要もありません。
その前提を置くと、設計の問いが変わります。
「どうすれば揉めないか」ではなく、「誰かが鎧を着ていても壊れない仕組みになっているか」。
たとえば、議事録が後から整えられてしまわないようにするにはどうするか。株主名簿が確認できる状態を保つにはどうするか。経理を親族以外が見ている状態をどう作るか。第3回と第4回で書いてきたことは、すべてここにつながります。
人の内面は変えられません。制度は変えられます。だから制度のほうを、人の内面が揺れても耐えるように作っておく。
これが、私がいま顧問先に申し上げていることの骨格です。具体策は第9回に書きます。
今回のまとめ
三点です。
一つ。世代の断層は、どの同族企業にもある。断層があること自体は、避けられません。
二つ。それでも帰結が分かれるのは、断層の片側に鎧を着ている人がいて、もう一方に鎧のない人がいるときに、断層が排除まで行くからだと私は考えています。
三つ。ただしこれは、他人を診断するための道具ではありません。器が満たされなかったことは、本人が選んだことではないからです。使えるのは、自分を理解することと、制度を設計することの二つだけです。
次回予告
第6回は、連載の折り返しです。
ここまでに、二つの説明が出そろいました。大塚久美子氏の「世代間の常識ギャップと文化の違いだから、対立は避けて通れなかった」という説明と、私の「器の状態が帰結を分ける」という説明です。
この二つは、矛盾しません。並べると、一つのことが見えてきます。
対立の発生は、おそらく避けられない。しかし対立の帰結は、避けられる。
だとすれば、承継の設計目標は「揉めないようにすること」ではなくなります。次回は、そこを書きます。
(次回に続く)
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本連載の筆者側の経緯・経営数値は、筆者および創業者一族の講演原稿(2002年・2006年・2010年・2021年・2022年・2025年)に基づく概算値であり、監査済み財務諸表の数値ではありません。本文中の「自我の器」「社会性の器」および足し算・引き算の幼児教育に関する整理は、筆者が2021年に執筆した『引き算の幼児教育で日本再生』によるものです。これは筆者個人の考え方であり、心理学上の定説ではありません。また、特定の個人の内面を説明するために用いるものでもありません。株式会社大塚家具に関する記述は、公表された報道・開示資料および大塚久美子『後継者不足時代の事業承継』(集英社新書、2025年)によります。評価にわたる部分は筆者個人の見解です。
筆者:吉條嘉家(公認会計士・税理士)/Kakitsu株式会社 https://kakitsu.co.jp/
