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事業承継~株価対策だけでない大きな問題~

避けられない対立 #1 二人の47歳——制度が働いた会社と、働かなかった会社

2015年3月27日、東京で一つの株主総会が開かれました。

株式会社大塚家具の定時株主総会です。創業者である父と、社長である娘が、それぞれ別の取締役候補を立てて争いました。委任状の争奪戦になり、結果は会社提案、つまり娘である大塚久美子氏の側が約61%の賛成で可決。反対は4割弱でした。創業者の大塚勝久氏は約18%を持つ筆頭株主でしたが、制度の上では正しく敗れたことになります。

連日、報道がこれを扱っていました。私も、ニュースで見ていた一人です。

ただ、見ていた場所が少し特殊でした。

同じころ、奈良の小さな会社で

当時の私は、奈良県吉野郡にある父の会社で専務をしていました。ヨシリツ株式会社といいます。LaQという教育ブロック玩具を作っている会社で、2015年には年商が10億円を超え、工場のパートを含めると100人を超える規模になっていました。

そして、こちらにも父と息子の対立がありました。

ここで、先に書いておかなければならないことがあります。

当時、この会社の株式の過半数を持っていたのは、私でした。1995年に入社したとき、会社は資本金額面400万円に対して8000万円近い大きな欠損を抱えていました。当時の株式会社の最低資本金制度1000万円に対応するために、当時の奈良銀行、いまのりそな銀行から500万円を借り、それを出資に充てたのです。

ですから制度の上では、私は会社の意思を決められる立場にいたことになります。

それでも、2017年6月、出張先で出社禁止の通告を受け、私は会社に入れなくなりました。22年働いた会社でした。

株主総会も取締役会も、書面の上では開かれたことになっていました。議事録には、招集があり、決議があり、署名があります。実際にその場で何があったかは、紙には残りませんし、私は何も知りませんでした。

弁護士にも相談しましたが、親族の間でこの経緯を法律上の争いにすれば、争いそのものが大きくなるだけで得策ではない、父との親子の話し合いで決着すべきという助言を受けました。私は何度も話し合いを求めました。しかし、その場は持てませんでした。もともと親孝行のつもりで戻った家業です。幸い私には公認会計士の資格があり、一人でも食べてはいける。それで、沈黙することを選びました。認めたのでもなく、否んだのでもありません。ただ、言わないことを選んだということです。

この選択が正しかったのかどうかは、第8回で自分なりに検証します。

47歳という符合

ずいぶん後になってから気づいたことがあります。

2015年3月のあの総会のとき、大塚久美子氏は47歳前後でした。そして2017年6月に私が会社を去ったとき、私は47歳でした。彼女は1968年前後の生まれ、私は1969年7月の生まれで、ほぼ同い年です。

父親たちも、ほぼ同い年です。大塚勝久氏は2015年の報道で71歳とされていますから1943年前後の生まれ。私の父は1944年の生まれです。後継者どうしが一歳違いで、創業者どうしも一歳ほどしか違いません。
二人とも、戦中の生まれです。そして家制度を定めていた民法の規定が廃止されたのは1947年の改正、施行は1948年1月1日ですから、二人がまだ三つか四つのときでした。法律上の家制度を、自分の記憶としては知らない世代です。それなのに、家長としてふるまいました。この点は第6回で改めて扱います。

同じ時期に、一歳違いの後継者が、ほぼ同い年の創業者と、同じことで揉めていた。

偶然かもしれません。ただ、偶然にしては符合が多すぎる、と思いました。

片方では制度が実際に動き、もう片方では書面の上だけで動いたことになりました

「避けられなかった」という結論

2025年11月、大塚久美子氏が本を出されました。『後継者不足時代の事業承継 当事者の視点で考える』(集英社新書)。ご本人の初の著作だそうです。

目次を見て、まず目を引かれました。五つの章が、すべて対比の形をとっているのです。「家」対「株式会社」、「制度」対「リアリティ」、「生産」対「再生産」、「ファミリー」対「非ファミリー」、「個人」対「ファミリービジネス」。

読んで、私がいちばん強く反応したのは結論の部分でした。

根本にあるのは世代間の常識のギャップと文化の違いであって、どちらの経営方針が合理的かという問題ではない。だからあの対立は、結局のところ避けて通れなかったのではないか。そういう趣旨の結論です。

自分の経験に照らして、これは当たっていると思いました。私と父の対立も、突き詰めれば経営方針の優劣ではありませんでした。

ただし、これは免罪符になりうる

ここで、立ち止まる必要があります。

「避けられなかった」という結論は、第三者が分析として述べるぶんには冷静な観察です。しかし当事者の口から出ると、意味が変わります。私は悪くなかった、構造が悪かった、という話に聞こえてしまう。

まして私が他人の著書を引いて「私も同じ結論だ」と書けば、権威を借りて自分を正当化しているように見えるでしょう。読む側がそう受け取るのは、まったく正当なことだと思います。

実際、私の側にも打てた手はあったはずです。過半数を持ちながら、私は株主としての権利を一度も行使していません。株主総会の招集を自分で請求したことも、株主名簿を見せてほしいと言ったことも、議事録を確かめたこともありませんでした。公認会計士でありながら、です。そして、もっと早い時期に、父が何を怖れているのかを正面から聞いておくべきでした。話し合いを求めたのは、事が起きてからでした。

ですからこの連載では、「避けられなかった」を結論としては置きません。検証すべき仮説として置きます。

この連載で確かめたいこと

二つの承継を並べます。

片方では、制度が実際に動きました。取締役会が開かれ、株主総会が開かれ、委任状の争奪戦になり、票が数えられた。約18%しか持たない創業者が、制度の上で正しく敗れました。

もう片方では、制度は書面の上だけで動いたことになりました。過半数を持つ株主が、自分の知らないところで会社を外れました。

違いは、制度があるかないかではありません。非上場の会社にも、株主総会と取締役会は法律上かならずあります。違いは、それが実際に開かれていたかどうかです。

そして、その後に起きたことを見ると、大塚家具は2019年にヤマダ電機の傘下に入り、2021年9月に完全子会社となり、2022年5月1日に吸収合併されて法人としては消滅しています。ブランドと店舗は残りましたが、会社そのものはなくなりました。ヨシリツのほうは、いまも事業を続けています。

制度が働いた会社が消え、働かなかった会社が残った。

では、制度は何を守るものなのでしょうか。これが、この連載の問いです。

10回かけて、世代の断層がどこから来たのか、家制度が廃止されてもなぜ家が残ったのか、同じ断層でも帰結が分かれるのはなぜか、制度は何をして何をしなかったのかを順に見ていきます。そして最後は、公認会計士・税理士として、いま顧問先に何を申し上げているかに着地します。

結論の見当だけ、先に書いておきます。

対立の発生は、おそらく避けられません。しかし対立の帰結は、避けられます。だとすれば、承継の設計目標は「揉めないようにすること」ではなく、「揉めても事業と人が残るようにしておくこと」になります。

次回予告

第2回は、家業に入る前の話です。父方の家と母方の家とでは、流れている空気がまるで違いました。承継の対立は入社の日に始まるのではなく、その何十年も前から準備されている。私はそう考えています。

(次回に続く)

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本連載の筆者側の経緯・経営数値は、筆者および創業者一族の講演原稿(2002年・2006年・2010年・2021年・2022年・2025年)に基づく概算値であり、監査済み財務諸表の数値ではありません。株式会社大塚家具に関する記述は、公表された報道・開示資料および大塚久美子『後継者不足時代の事業承継』(集英社新書、2025年)によります。評価にわたる部分は筆者個人の見解です。
筆者:吉條嘉家(公認会計士・税理士)/Kakitsu株式会社 https://kakitsu.co.jp/

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